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治療院ストーリー

バランス整骨院 中原 院長 野上浩一郎ストーリー

まず私を健康な体で生んでくれた両親に感謝します。
こうして今、自分がこの仕事を出来ていることも
全ては両親の支え合ってのものです。
そして私をいつも支えてくれている
たくさんの大切な人達に感謝します。

わんぱく過ぎた幼少期

IMG_20160112_0009私は二人兄弟の末っ子として育ちました。
幼いころから、とにかくエネルギーに溢れており
学校でケンカや悪さをすることは日常茶飯事。
学校に遅くまで残されたりPTA会長が家に訪問に来たり…
母は家の電話が鳴ることを恐れていました(苦笑)。

そんな、落ち着きのない幼少期でしたが
両親からたくさん愛をもらい幸せに生きていました。
ある出来事で人生が一変してしまいます。

こじらせ思春期

あ突然起こった人生最悪の出来事。
11歳の時に起きた父の事故死でした。
そして、そのわずか3ヶ月後に阪神大震災に遭うという
小学5年生にはハードな試練の連続。
当時は『人生って辛い…』と心の底から思っていました。
精神的ショックから感情の整理が出来なくなり人に心を開けなくなり
不安定な日々を過ごしていました。
←この目つき、だいぶ心を閉ざしてますね笑

しかし、ある時これ以上母に心配を掛けたくないと
思うようになり高校からは心機一転。
部活のバスケットボールと勉強に励む毎日。

どちらも中学時代の失われた時間を取り戻す様に夢中で打ち込み
部活ではレギュラーになり、志望大学に合格することが出来ました。

充実した学生期

05_空手大学からは空手をやっていた兄の影響もあり
あの空手バカ一代の大山倍達で有名な
極真会館に入門。厳しい稽古で
心身を鍛えられました。
そして当時、出稽古に通っていた道場が
武蔵中原にあったことが
開業場所のご縁となるのでした。

また同時に大学で音楽活動をスタート。
音楽系の部活に入部してアカペラグループを組み
毎月のように各地でライブを行っていました。
いくつになっても一緒に歌っているだろうと思える
最高の仲間達に出会えたことは大きな財産になりました。

転職、専門学校期

大学卒業後はIT系企業に就職。システムエンジニアとして携帯電話の開発をしていましたが
数年後『もっと人と直接、関われる仕事をやりたい!』と考えるようになり
スポーツや格闘技を通じて興味のあった治療業界に転職を決意。

それからは朝から夕方まで横浜市にある整骨院で仕事。
夕方から夜までは専門学校と二足のわらじ生活がスタート。
勉強漬けの3年間を過ごします。その甲斐あって国家試験も一発合格!

静岡・埼玉修業期

師匠専門学校卒業後は静岡県浜松市
整骨院に就職。
数年が経ち慣れてきた頃に、ある教材を購入。
そこに私の師匠である花谷博幸先生が
登場されたのです。
業界を変えると宣言して実際に
大きく変えてしまった師匠。
いつしか『この先生の下で
働いてみたい』
という気持ちがふつふつと沸き上がり…
3ヶ月後にはエントリー!
厳しい入社試験を何とかクリアして
埼玉で弟子入りします。

しかし、そこで待っていたのはあらゆる面で高い基準!
どん底に落ち込む毎日でした。
正直、それなりに自己投資と苦労もしてきたと
思っていた自分でしたが、その積み上げた自信を
粉々に砕かれてしまいました。
ふと鏡を見るとストレスで前髪が真っ白に
なった時はさすがに驚きました(笑)。

しかし、厳しくも愛情に溢れる師匠と兄弟子達、
たくさんの人達に支えられながら鍛えて頂き
今までにないスピードで成長することが出来ました。
師匠からは治療術や経営だけではなく
生き方を学ばせて頂きました。

そして、現在・・・

2016年4月に結婚。翌年3月には
可愛い女の子が生まれてきてくれました。

小さいお子さんがいるママ、子育ての
大先輩の患者さん達から色々と
教えてもらいながら新米パパとしても
奮闘する毎日です。

家族を支える大黒柱として今まで
以上に仕事に邁進していきます!

 

 

 

 

 

2022年7月。おかげ様で開院7周年!
今は応援してくれている大切な家族、師匠に
誇りに思ってもらえるような治療院を創ることが目標です。
そして、母親を喜ばせることが
父親孝行でもあるので、もっと親孝行が出来る
息子になりたいです。バランス整骨院 中原は
これからも地域ナンバー1治療院を目指し、
来院して下さる皆様が笑顔で
毎日を過ごせるように全力を尽くさせて頂きます。
これからもどうぞ、よろしくお願い致します。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。
今度はあなたのマイヒストリーをお聞かせ下さい。

バランス整骨院 中原 院長 野上浩一郎

長谷川勝彦ストーリー

 初めまして、千葉県市川市出身の長谷川勝彦です。
私は兄と姉の三人兄弟の末っ子として育ちました。
子供の頃は恥ずかしがり屋で大人しく、幼稚園では
女の子のグループに混じっておままごとなどをして
遊んでいました。小学校に入学してからは
野球との出会いがあり、地元のクラブチームに入り
ボールを追いかける毎日。

 

この頃から体重が少しずつ増え始めて、少しぽっちゃりはしていましたが、
活発に動いていた少年時代で将来はプロ野球選手になりたいと思っていました。
そして、六年生の時に生死を分ける出来事が起こりました。
ある時、麻疹に感染してしまい深夜に救急車で運ばれ緊急入院
麻疹の菌が脳にまで行きそうになっていて、
もしそのまま到達したら命が危ないと家族に伝えられたそうです。
三日間意識が戻りませんでしたが四日目にして、ようやく意識が回復しました。
担当して頂いた医師の先生には本当に感謝しています。その後は無事に回復し小学校を卒業。
健康になりましたが中学生になっても体重は増え続けて、
高校生の時には最大104キロまで増えてしまいました。

ここまで体重が増えた理由は当時コーヒー牛乳が
好きすぎて毎日2リットルを飲み、さらにたらこで白米を何杯も食べていました。
食べたらすぐに床で寝ながらテレビを観る毎日。当時ではそれが当たり前でした。
しかし、高校生になってからは女性と付き合いたい!という思いが強くなり16歳の時にダイエットを決意!

ダイエット方法は炭水化物の量を減らし、肉などのたんぱく質を積極的に食べるようにしました。
そしてジムで水泳と筋力トレーニングをする毎日。その結果が実り半年で
25キロのダイエットに成功することができました!
しかし、容姿は変わりましたが中身が恥ずかしがり屋だったのは変わらず…
女友達はできましたが付き合うまでには至りませんでした。
それでも、痩せた事によって少しずつですが
自分に自信が持てるようになり、充実した毎日を送ることが出来ました。

高校卒業後はパン屋さんで働き始め、主にパンの製造と窯焼き係を担当。
4年間充実した日々を送っていましたが、ある時、仕事中にひどいギックリ腰に!
その時に通った整骨院で体を治してもらって、痛みが無くなった事に感動!
私も治療家になりたい!柔道整復師になろう!と決意した瞬間でした。
その後、都内専門学校に入学。当時、教員の先生の整骨院で働きながら
学校に通っていました。この頃にバランス整骨院院長の
野上先生のお師匠花谷先生の本を読んで一流治療院の新たな基準を知る事に。
その後、国家試験に無事一発合格をして地元の整骨院で就職しました。

 

3年間の勤務を経て治療家として、
人として更なる成長と成功をしたいと強く思うようになり退職。
そして、本やセミナーで勉強させて頂いていた花谷先生から
チャンスを頂き直弟子の先生方の前で面接。緊張して頭が真っ白になっていましたが
後日、野上先生から人生を変えるチャンスを頂いて、今日に至ります。

30歳目前にして頂いたご縁に感謝しながら、今後バランス整骨院 中原を
盛り上げていけるように今まで以上に精進していきます。
皆様の笑顔と健康な体を作るサポートをしていきますので、
中原区の皆様どうぞよろしくお願い致します。
最後にどんな時も一生懸命に育ててくれた両親に感謝します。

長谷川勝彦

 

 

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